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徹底解説!今の学校教育の現状とは!?(前半)

先生のためのウェブサイト【EDUPEDIA】とのコラボ第二弾!

今回は教育問題を歴史的・社会科学的視点から研究する、教育社会学者の広田照幸先生へのインタビューをお届けします!

(広田先生と今回のフォーラム学生登壇者▶)

 盛りだくさんの内容となっておりますので、前後半の2本立てとなっています!

学校や教育現場を取り巻く諸問題は

どういった経緯で生まれ、どのように今の状況を生み出したのか

という疑問を学生にもわかりやすくお答えいただきました!

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Q1 学校の役割の肥大化の契機とは?

 学校の役割が肥大化していく契機は、二つあると思います。

 一つは、「個々の子どもに応じた教育」という考え方の浮上です。

 それは1984~87年の臨時教育審議会にさかのぼります。それまでの、多くの知識を生徒に一律に詰め込んでいくような教育のスタイルから一転し、生徒の個性を重視する方針が打ち出されました。どのような生徒にも同じように授業を展開すればよかったのが、一人ひとりの生徒に合わせた教育が求められるようになれ

ば、当然学校の役割は肥大化していきます。

 もう一つは消費者主義的な学校観の台頭です。

 学校をサービス機関とみなし、具体的には、教える側が良いと考えるものだけではなく、生徒や保護者に求められるものをサービスとして提供するべきだ、という考え方です。保護者は「あれもしてくれ」「これもしてくれ」と学校に求めるようになりました。このような風潮も学校の役割の肥大化の大きな要因になっていきます。

Q2 このような学校における大転換に伴って、学力はどのように捉えられたのでしょうか

 臨時教育審議会以降の国の教育政策では、個性重視の原則、能動性や主体的学習の重視、知識を詰め込むよりも学んだ知識を使う、といった方向で、学力が捉えられていきます。このような学力の考え方自体には、確かに評価できるものが含まれています。1989年の学習指導要領改訂では、「新しい学習観」、つまり生徒の関心・意欲・態度を重視する考え方が盛り込まれました。

それまで受動的に学習に取り組んできた児童・生徒の学習のあり方を変えようとするものでした。

Q3 この大転換は教育現場にどのような影響を与えたのでしょうか

 一つには、このような変化を教育現場に反映できる実現性不足していたために、教員の多忙化が深刻化しました。生徒一人ひとりを丁寧にみていくことにするのであれば、教員の数を思いきり増員して、丁寧な対応ができる環境を作る必要がありました。しかし、教員定数は十分に改善されず、現場は忙しくなりました。

 もう一つには、評価の問題が理念の実現の際に足を引っ張りました。生徒の関心・意欲・態度を実際にどのように評価するのかも明確ではなかったので、現場では発言数や宿題提出数を機械的に数えて評価に使う、といった形式主義が広がってしまいました。

Q4 その後の学力の考え方はどのように変わっていったのでしょうか。

 1996年の中央教育審議会答申における社会の動きに即して知識を活用することを組み入れた「生きる力」も、もともとの理念としては悪くない部分を含んでいました。でも、その考え方に基づいてなされた学習指導要領の改訂は、内容の削減ばかりがクローズアップされ、「ゆとりが緩み」という非難を浴びることになってしまいました。

 しかし、学力の考え方の見直しは、その後も続いていきます。2007年の学校教育法の改正においては、「生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない」(30条2項)という文言が付け加えられました。「思考力、判断力、表現力」をはぐくむ学習のさせ方を求めている点が重要です。さらに、2016年の学習指導要領の改訂においては、「アクティブラーニング」などがクローズアップされています。

 これらの一連の流れは、臨時教育審議会以来の、新しい学力、学習、教育観を実現していこうとしてきた一貫した動きだととらえることができます。ただし、依然として教員定数は抜本的に改善されることはなく、学校の現場では「そんなこと言われたって、それを十分やれるだけの余裕がないよ」という状態が続いてきています。

Q5 教育も公費により国民に提供される一つの公共サービスともとらえられると思いますが、その点に関してどのようにお考えでしょうか。

 公教育は、ほかの公共サービスとは性質が異なり、顧客(生徒)のニーズを前提にしていません。生徒が「〇〇について学びたいから教えてほしい」という具体的なニーズをもって教室に来ているわけではないのです。だから、専門性を持った教師が個々の子供に何をどう学ばせるのかを判断する必要があります。そう考えると、消費者主義のモデルの押し付けには大きな問題があります。教師が専門性をもって、生徒の学習や成長の可能性を実現できるよう、教育内容や教育方法を吟味して提供する。一般の公共サービスが受けてのニーズに対応するものであるのに対して、教育では、専門性を持った教師の自律的な裁量がしっかり認められる必要があるのです。

Q6 教育を制度面からみるときに重要なこととは?

 サービスの供給側がその内容に根本的な主導権をもつ教育においては、その内容が適切になるよう、大枠のところは国が学習指導要領で定める、というやり方がとられています。私が思うことの一つは、あまり上のレベルで細かく決めすぎないことが重要だと思います。個々の学校や教室の現状から遊離した内容が押し付けられることになってしまうし、個々の教師の創意工夫も抑え込まれてしまいます。最近の中央教育審議会は、細かく細かく議論を重ねていて、「ちょっとどうかな」と思うことが多いですね。親切すぎるのか、現場の教員に対する不信感が強いのか。国レベルであれ、地方の教育委員会レベルであれ、上で細かく決めすぎると、現場の教員には「この枠からはみ出すな、余計なことをするな」というメッセージになってしまいます。

 もう一つ重要だと思うことは、公教育は教育機会の平等を担保する必要がある、ということで、それについては、少し後でお話ししましょう。

Q7 日本の公教育では生徒の学習意欲の低下が問題視されていますが、

その根本的な原因とは何でしょうか?

 家での学習時間という点では、最近の調査では少し回復しているようです。ただ、「学習意欲」の在り方の長期的な変化について、もっと真剣に考えてみる必要があるでしょう。日本においては、学習に対する意欲というものが、学習内容自体よりも、学習内容の習得によってもたらされる社会的地位の獲得によって支えられていました。他人より多くの知識を得て高い学歴を手に入れ、それで貧しさから抜け出し立身出世を達成しよう、というような学習の動機付けですね。社会に欠乏感の高かった時代はそれで問題なかったわけですが、高度成長を経て一定の豊かさを実現した社会では、そういう道具主義的な学習動機ではなかなか子どもは学習に向かわなくなる。学習動機が空洞化するのもある意味当然の結果と言えます。

 だからこそ、「学ぶことの意義、学ぶ中身の面白さ」をもっとクローズアップして考える必要があります。これからは学ぶ内容の面白さ、そして学んだ内容が将来どう実際に役立つのか、ということを伝えることで、生徒の学習意欲を喚起させていく必要があると思います。このような内容を生徒に伝えることの重要性が今まで軽視されていたともいえます。

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前半はここまで!

まだまだ広田先生のお話は続きます!

後半はこちらから!▶▶goo.gl/XCbBJ5

乞うご期待!!

ROJEHPはこちら!▶http://kyouikusaikou.jp/

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広田照幸 Teruyuki Hirota

専門は、教育社会学、教育史、社会史。

『教育は何をなすべきか――能力・職業・市民』岩波書店、2015年

『教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却』

日本図書センター、2010年(伊藤茂樹との共著)​

をはじめ様々な書籍を出版している。

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