【京都大学 石井先生にインタビュー!】~教科指導と地域連携から公教育を考える(後半)~
【EDUPEDIA×五月祭第四弾!!!】
【京都大学 石井先生にインタビュー!(後半)】
前回に引き続き京都大学准教授の石井英真先生へのインタビュー内容をお伝えします。

石井先生は、学校現場での授業研究を進めながら、学校で学ぶべき学力の中身やその形成の方法論について理論と実践の両面から研究されています。そのなかで、コンピテンシー育成に向け
た教育諸改革についての研究もなさっています。
インタビューではおもに、ご専門の教育方法学の視点から、いまの教育現場の現状について解説いただきました。
後半では、前半で扱った地域との連携の観点と絡めながら、学校評価や、通信制高校の動き、教師の多忙化についてお話しいただきました。
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学校評価が消費者意識を生んでしまうという議論があります。公費を投入するという性質上、学校に評価は必要だとは思いますが、そのあり方についてはどうお考えですか?
これは、地域からの信頼の話と密接に関わってきます。公費を投入している以上、それに対する説明責任が求められるというのは確かに一面の真理ではありますが、説明責任の主体と相手が誰なのかを考えるべきです。そこで、説明責任の二つの層を考えてみましょう。一層目は自分の子どもを通わせている学校、自分たちの地域の学校、これがちゃんとやっていると保護者に思ってもらうということです。各学校が目の前の保護者や子どもたちに対して果たす、顔の見える関係性の下での説明責任です。保護者の方が一番安心するのは、やはり授業参観などの機会に楽しそうに真剣に学んでいる子どもの生の姿を見ることです。そういうことから言えば、日本の学校は通知表や学級通信など、手厚い家庭との連絡機能を持っています。これが本来説明責任といったときに大事になってくるベースだと思います。しかし、自分の子どもが通っている学校は信頼できても、日本の公教育全体を見たときにどうかという二つ目の層があります。日本の教育界全体に対して「大丈夫なのか?」という、顔の見えない関係性で投げかけられる声に対する対応も必要というわけです。この層での説明責任の主体は個々の学校というより行政の側だと思います。日本の公立学校は決して悪い水準ではありません。1億を超える人口規模でこれほどの教育水準を保っている国はなかなかありません。日本の公立学校は大丈夫ですよ、というメッセージをもう少し行政の側から出していってもいいのではないかなと思います。
N高校など通信制の高校ができていますが、そうした学校が増えると地域とのつながりは薄くなると思います。こうした動きについてはどうお考えですか?
いつでもどこでも学べるというのが通信制の魅力ですよね。

学校に限らず、多様な学びの場は必要だと思います。学習者の側からすれば、必ずしも地域のコミュニティにとどまって学ぶ必要はないという具合に、選択肢が生まれます。しかし、集団としての同質性や凝集性の強い従来型の学校の形は、地域のセンターとしての学校に地域が参画していく傾向を強くしながら、学校教育の一つの有力な形として残り続けると思います。お祭りなどもすたれていく中で、やはり寺社ではなく学校が地域のセンターになりつつある、だから、地域の側から見るといまや公立学校というのはものすごく重要な位置づけを持ってきているという側面があります。ただ、地域のセンターとなりうる人員と空間と資源を持った学校という場所は、学習者の側からすると必ずしも居心地のよい場所や学びやすい場所ではなくなってきていて、そこにずれがあるといえます。ただ、これまでの学校の在り方もまだまだ量的には大部分を占めていますし、あくまで子どもたちの学習や幸福を保障していくという観点から子どもたちの社会的な環境、学習環境を手厚くしていくという方向で、地域の人との協働を仕組んだりして、コミュニティとしての学校を活性化するとともに、一方で、従来の学校とは違ったゆるやかなつながりの下で居場所感を持って、自分なりのペースで学べる場なども多様に保障されねばならないでしょう。
公教育の重要性は一番どこにあるとお考えですか。
今の時代、学校に行かなくても学びは成立するようになってきつつあります。通信制の学校やネット上で学びたいとき学べるシステムなどが生まれる中で、近代学校とは異なる学びのシステムに少しずつ移行しつつあるのかもしれませんね。ただ、現実的に言えば近代社会において学校教育を中心とする公教育制度は、社会の人材配分に関わる選抜機能や、子どもたちを

「人間」や「国民」や「市民」などへと形成し近代社会を維持・発展させていく働きにおいて、依然として重要な位置を占めています。加えて、学校教育が成立した背景には子ども期の発見、子どもというものの独自性や固有の価値の発見というのがあるわけですよ。子どもを社会から保護するという面で学校制度は大きな役割を果たしています。学校の、学習権の保障という役割を手放してはいけないというふうにも思います。貧困問題の核心は最低限のつながりや尊厳や生存権の保障です。ゆえに、貧困問題が拡大する中、学校という場に、教育機能以上に福祉機能を期待する傾向も生じているように思います。しかし、格差の再生産にストップをかけるには、学習権を保障して能力を付けて、未来の不平等の連鎖を断ち切ろうという動きが必要です。教育というのは人間を変えるということなので、ありのままを承認すること、いわば変わらない自由を認めるかどうかというのはとても難しい問題です。
最近、先生の時間外労働に手当を支給するかどうか議論がされています。部活動や特別活動は昔からあったのにも関わらず、最近多忙化ということが言われ出したのは、教師が信頼や尊敬を受けなくなってきているというところが大きいのでしょうか?
それもありますし、もう一つ、近年の教師の労働状況の調査を見てわかるのが、本業率の低下です。子どもと触れ合う時間が減って会議や書類書きなどの雑務が増えました。1990年代にはすでに生まれていたこの傾向は、2000年代に入りさらに強まっています。忙しくても子どものためであれば「手ごたえ」があるんですが、本業以外の業務がすごく増えて「徒労感」だけが残るというのが忙しさの正体です。最近だと保護者対応もその一つです。これは信頼の問題とも関係していて、信頼がないから一つ一つに対して説明責任を負い、書類を書かないといけないという状況です。手続きがすごく煩雑化しています。本業に割けない労働時間の増加という、忙しさの中身の問題がベースにあると思います。
本業に時間を割けないことの遠因となっている、学校現場への信頼の失墜の背景は何ですか。(五月祭)
戦後の改革で、教師の学位レベルはぐっと上げられ、それが日本の教育水準を支えた部分はあると思います。1970年代半ばに高卒以上の学歴が当たり前となる以前であれば、地域で大学卒って教師を含めわずかしかいなかったわけです。しかしながら、いまや親の学歴が教師以上の場面も多々あり、学歴面での優位性が揺らいでいる。社会の不満の声の多くが公務員に寄せられていて、そのなかでも、一億総教育評論家状態で、いろいろと文句の言いやすい教育に不満やステレオタイプの批判が集中することによる影響も大きいでしょう。しかも、教育が商品化され、人々の消費者意識が高まる中、教師をサービス提供者とみて、その責任を一方的に追及する傾向が見られます。また、全人口の中での子育て世帯の率はいま非常に下がっていて、しかもその世代が投票に行かないことで、子育ての当事者の声が政治に反映されにくいという問題もあります。教育を擁護する声や勢力が相対的に弱くなっているわけです。先生が書かなくてはならない書類が多くなっていることの背景には、「公務員としての教師」という教職イメージが強まったこともあると思います。「専門職としての教師」は子どもたちに対して誠実であることがまず優先されるべきです。公務員として御上から課された職務を忠実に遂行するということが優先され過ぎているところがあると思います。
最近教員志願者数が下がっているということをよく聞きますが。それについてはどのようにお考えですか?
やはり、教職がもっと魅力ある職業として映らないとみんななろうと思わないですよね。教師バッシングが広まり、しっかり仕事をしているのに全然報われずその仕事の尊さも伝わらない状況下で、教師になりたいという気持ちは起こりづらいです。教育万能論と学校不信が同居しているのが現代の非常に難しいところです。教師の魅力や学校の魅力を高めていかないと学校に対して高まり続ける社会の期待にこたえていけないし、学校不信に対するディフェンスもかけられません。教育万能論に対しては、教育が万能ではないことをきちんと伝える必要があるし、学校不信に対しては、学校はしっかりしているということを言わなければならない。そうしないとバランスを欠いてしまいます。
先生は教職課程の担当でいらっしゃいますが、そうした時代背景の中で、多忙な教師という職業につこうとしている学生に、メッセージをおねがいします。
教師という職業はここまでやればOKという基準がないので多忙になりがちですが、それは裏を返せば、子どもたちのために自分なりに最善のものを追求していけるという可能性が開かれているということでもあります。子どもたちと向き合い、子どもたちにとって最善のものはなにかを考え続けるうちに、絶対に手ごたえという形でかえってくる、そういう職業です。人間が育つというところに立ち会うわけですから、その手ごたえは何物にも代えがたいものがあります。人間の成長に立ち会うことによって若い世代と一緒に自分も学び、成長していくことができるのです。
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いかがでしたでしょうか。
公教育は「商品」なのでしょうか?
教師は完璧でないといけないのでしょうか?
学校はどんな場所である必要があるのでしょうか?
様々な視点から教育現場を見つめることで見えてくることがあると思います。
「教育」に私たちができることは何でしょう。
石井先生インタビュー(前半)はこちらから!▷▷goo.gl/pM6lRq